わたくしは、東京都内のお客様へITコンサルティングサービスをご提供する傍ら、茨城県県南地域(常総市、つくば市)を中心に市役所と連携を深めながらパソコンやインターネットの基本を学びたいシニア、小・中学生のみなさまにIT教育サービスを提供しています。
さて、IT教育コンサルタント?と思われたかもしれません。そもそもITコンサルタントという職種も何をしているのかよくわからない方が多いかもしれません。みなさまは、ネットで買い物をしたとき、あるいは荷物を知人から受け取るときなどに、「ゆうパック」を使ったご経験はあると思います。その際、郵便局のお荷物追跡(再配達の紙などがポストに入っていて電話をかけて届ける)サービスを使ってご自宅で荷物を受け取ったことがある方は多いかと思います。そういったサービスは、何百人・何千人といったエンジニアやプログラマが関わり創られています。ITコンサルタントは、ものづくりを支えるエンジニアが創るサービスを使う人(お客様)の立場にたち、使う人に価値を感じてもらえるものに仕上げていく仕事です。
IT教育コンサルタントでもあるわたしは、あらゆるインターネットサービスの仕組みやパソコン・スマホ・タブレットの活用方法を知っています。IT教育コンサルタントとはそのようなサービスを使う人(シニア、小・中学生のみなさま)の立場にたち、現在の生活や将来を豊かにするための活かし方を実感していただく仕事です。
小・中学生向けサービスとして、scratch(スクラッチ)というレゴブロックを積み上げる感覚でアニメーションや音楽、ゲームを創れる講座を開講しています。たとえば、ご自身もしくはお子さんが人生ゲームに夢中になったことがある方は多いかと思います。ドラえもんや妖怪ウォッチがテレビやネットで流れていたときに、ドラえもんや妖怪ウォッチの人生ゲームがやりたい、創りたいと思ったときを想像してみてください。そのイマジネーションをレゴブロックを組み立てる感覚で創ることができる、創造したことをすぐに形にできるスキルが身につく講座です。正解がない現代社会で個性、感性、クリエイティブな創造性を簡単に具現化する方法が体得できる革新的なサービスとなっています。
また、シニア向けサービスとして、ワード・エクセル、インターネットの仕組みをわかりやすくお伝えし、実践重視のパソコン講座を開講しています。述べ受講者は200名を突破し、驚異のリピート率55%です。一般のパソコン教室との一番の違い(強み)は、パソコンやインターネットの「操作」を覚えていただくのではなく、「意味」をご理解いただき、多くの作品(町内会報や手紙、年賀状など)制作の実践を通して身につけていただくことにあります。
例えば、キーボードのF4キーを押してくださいと意味もわからず、操作だけ習うことがあると聞いたことがあります。本講座では、「F4キーは、直前の操作を繰り返す」という意味がありますと伝え、さらに案内状の文字を太字にしたとき、他の文字にも反映したいときにF4キーは便利に使えるという具体的事例を受講者自身に実践いただくことで意味の理解が定着して、忘れることが圧倒的に減ります。意味からすぐに思い出せるようになったと大変うれしいお言葉をいただいています。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
小学生の2年生のとき、誕生日にファミコンを買ってもらいました。
飛び跳ねて喜んだ記憶が今でも鮮明に残っています\^o^/。そこからゲームとのなが~い付き合いの始まりです。当時からドラゴンクエストやスーパーマリオなど面白いソフトがたくさんあり、すぐにゲームに夢中になっていきました。中学・高校に進んでバレーボールや柔道部などの部活をしながら部活の休みにはゲームセンターで遊ぶ生活をしていました。ストリートファイターやバーチャファイターなどの格闘ゲームで対戦相手やコンピュータの心理やパターンを読みながら考える楽しい日々を過ごしました。
高校まで平均すると1日1時間はゲームをしていたと思います。どうやったら相手に勝てるのか、ゲームってどういう仕組みでできているんだろう?と考えながら遊ぶ習慣が身につきました。高校も卒業を意識する時期になると、自分の創ったゲームで世の中の人に楽しんでもらいたいと考えるようになりました。しかし、それまでゲーム製作者になるための勉強を何もしていない、何をしたらいいかもわからない状況でした。考え、調べた末にどうやら情報処理という分野を学べばゲームが創れるようになるらしいと聞きつけ、情報処理系の大学に進学しました。ゲームを創るためにはプログラミングを学ぶ必要があるとわかりましたが、大学に入った当時は1996年、ようやくWindows95が出始めたくらいの時代でした。大学の講義では、ハードウェアの仕組みや真っ黒い画面にひたすら文字を打つこと(=プログラミング)しかせず、ゲームの華やかな世界しか知らない水上はプログラミングって、なんでこんなにつまらないのか!と感じました。遊ぶのと創るのはまったく違う!!そう痛感したのです。
大学生活も2年、3年と過ぎ、つまらな過ぎて辞めたいと思うことが何度もありました。真っ黒い画面やラジコンを分解したときに出てきそうなハードウェアと格闘する日々、どうやったらゲームが創れるようになるのか、どういう仕事に繋がるのか、まったくイメージができない辛い時期を過ごしました。しかし、続けていると楽しい部分が見えてくるものです。4年続けた結果、徐々にプログラミングがわかってきて楽しくなり、大学院でさらに2年勉強し、システムエンジニア・プログラマとして社会人のキャリアをスタートすることになりました。
なぜプログラミングが楽しいと感じるのに4年も時間がかかったのかを考えてみました。プログラミングが面白いと感じたきっかけは、友達との麻雀やパチスロの勝敗記録をエクセルのVBAというプログラミング言語を使って、勝つための情報を管理するプログラムを創り、生活や将来に役に立つものを創る方法がわかったときでした。それからは自分の創ったものでお客様の役に立つ、価値を感じてもらえるものを創りたいと考えるようになり、ものづくりの視点をシステムエンジニア・プログラマで学び、2008年からはお客様目線に重点を置いたITコンサルタントとしてキャリアを重ねてきました。
登山家のプロフェッショナルの話を聞いたことがあります。登山を好きになるには下山から始めることであるとのこと。その心は、一番楽しいと感じることから始めることだということです。プログラミングは楽しいと感じることができれば、私のように苦労する必要がないと思うのです。
そしてゲームやインターネットをしている小・中学生にプログラミングの楽しさ、意味を知ってもらうためのサービスを提供したい、シニアにパソコンやネットの意味を理解してもらい、生活を豊かにしてほしいという想いから2014年10月に起業しました。
2014年に起業するまで、起業してからもさまざまな葛藤や苦難、出会いがありました。これまで経験した印象深いエピソードをご紹介します。わたくしが就職したのは就職氷河期の2003年、システムエンジニア・プログラマとしてのキャリアをシステム開発会社でスタートしました。
入社して半年のことです。上司のKさんからH社向け洗濯機の洗浄力(どのくらい汚れが落ちているかを)シミュレートするプログラムをN88-BASICというプログラミング言語でシステム開発を任されました。
大人の世界はお客さんとの関係やいろいろな事情が複雑に絡み合いますが、エンジニア・プログラマの業界ではよくある会話です。理想と乖離した現実にストレスが溜まることも多い時代でした。そして、数か月後のことでした。
上司から言われたとおりに創り、意味のある提案に対する行動にかかるコストばかりに目が向いてしまう文化にむなしさを感じていました。そして数年後。。
私は求められるものを懸命に実現しました。しかし、数か月後に起こる問題(たとえば、マンションの杭打ち問題が代表的な例です。杭部分が不完全なのに立派な内装を仕上げても、住む人・使う人のためにならないことは明らか)は、当然おこりました。そして、ほどなく体調を崩し、2008年に退職を決意しました。
退職後、静養して体調も回復した私は、リーマンショックが起こる年(2008年)に晴れて自分の理想が実現できるフリーランスになりました。
フリーランスになることは簡単です。しかし会社も上司もいない、何も後ろ盾がない状態で仕事を獲得することは容易ではありません。いろいろなことにチャレンジしましたが、一番大きな失敗をお話したいと思います。
私は常々、床屋さんにいくとき、待ち時間がどうしても我慢できませんでした。あまり知られていませんが、床屋さんは全国に20万店以上あるというデータもあり、床屋さんの予約システムを開発して売り込めば、床屋を使う人も便利になるし、床屋さんも待ち時間の間に他のお店に移ってしまう人をお客さんにできることで売り上げを上げられると考えました。
そこで、Googleカレンダー機能と連携した予約システムを自宅でプログラミングする日々を送りました。プログラムが完成した後、床屋さんに売り込みするためのチラシ製作や営業をしましたが、まったく売れませんでした。お客さん目線で絶対便利なのになぜ。。。愕然とする日々が続き、会社員時代の貯金も底をつきかけていました。。
妻子があるなか、やばい、マジでどうしようか。。慣なれない営業活動やPR活動を積極的にしてみましたが、プログラマ目線の自分ではなかなか効果的な提案ができません。仕事がとれない。。。やっぱり会社やめるんじゃなかったのか、いろいろと過去の記憶がよみがえってきました。がむしゃらに動きまくっていたそのとき。。わたしの故郷の恩師が声をかけてくれました。
私は、自分の強みを改めて見つめなおし、床屋さんの予約システムがなぜ売れなかったかを徹底して考えました。考え抜いた結果、理由は「対価(お金)を払う人が本当に必要なことがわかっていないこと」と結論を出しました。営業経験もなく、床屋さんの事情を深く理解していない(利用者目線だけにとらわれていた)私の提案が採用されることはありません。前日のコンサルタントとの反省点を恩師に伝え、今一度チャンスをもらえないかお願いしました。
ほどなくプロジェクトへの参画が決まり、プログラマからシステムエンジニア、さらにITコンサルタントの仕事を恩師から提供してもらい、お客さん(たくさんの利害関係者)が望んでいることと自分の理想を最適なバランスで提供するスキルを身につけることで、有難いことに何とか生活できるだけの仕事を受注できるようになりました。
2014年になり、生活も安定してきたこともあり、自分が本当にやりたいことは何かを問いました。
原点はゲームとの出会い。プログラミング、恩師との出会いを通して、本当の意味でお客さんに喜んでもらい多くの方に価値を感じてもらいたい。
最後までお読みいただきありがとうございました。
みなさまにとって有意義なサービスを提供し続けていくことをお約束いたします。
妻と10歳の男の子、6歳の女の子とともに暮らすつくば市出身の1978年生まれのIT教育コンサルタントです。
FLAP